このコーナーでは、■琉球王朝辞令古文書■奄美の民謡■佐念モーヤ■ノロの扇■辨才天石像、寄進塔の紹介をしております
CULTURAL
INHERITANCE
わたし達の郷土には先祖が残した遺産とも
いうべき文化財や学術上価値の高いものが
数多くあります。これらは、郷土の歴史、
民族、自然などを知る上で重要なばかりで
なく、さらに後世に伝えていかなければな
らない郷土の宝です。
現在でも使用されている民具イショ箱
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■琉球王朝辞令古文書(村指定有形文化財) この辞令は、奄美が琉球王朝(琉球王府発行)に仕えていた頃の役人辞令四通とノロ辞 令一通からなつているもので、西暦1554年〜1583年、日本では室町時代末期(今から402 年〜432年前)の古文書で極めて希少てあり、貴重な歴史、史料となつている。昭和42 年、県立大島高校郷土研究部によつて発見された。それまでは、所蔵者吉久家の家宝と され、毎年正用二日、宝納箱より取り出し虫干しを兼ねて三献をし、大事に保存している。 四百年余、吉久家や、代々の名柄のノロの神々が大切に保存されてきたことに敬意を表 したい。 |
佐念モーヤ
(村指定有形文化財)
共同墓地のモーヤ。共同墓地は現在佐念集落のはずれの山裾にあるが、奄美大島で見られる唯一の完全な積石墓
である。奄美・沖縄の最も古い墓の代表である。集落の村当りという世話係が花をそえたり線香立てを作るなど、区長さんを中心に大事に保存されている。墓の中には、人骨があり、先祖の遺骨だろうとも、無縁仏の骨を
集めたものだろうともいわれる。この墓地には、極めて小さい、同じような墓が幾つか見られるが、明治中期ま
では今のモーヤよりも大きなモーヤであったといわれている。この形態はみるからに人間生活の祖源を思わせるものがある。
ノロの扇
「原始、女性は太陽であった]これは青王派のキャッチフレーズ。
「昔、女性は兄弟とシマの守り神」これは奄美のキーワード。
シマを守り、五穀豊穰を祈っていたのがノロといわれる女性たちでした。
女性の豊かな生殖作用は神々の為せる御業なのでしょう。
母なる大地の観念が秘められています。
女性はウナリ神ともいわれていました。
船の外艫(そととも)に白鳥ぬゐちゆり(止まっている)白鳥やあらむ(ではない)
ウナリ神がなし男性は姉妹のウナリ神の加護のもとで、
荒海に漕ぎだし海の幸を得て帰り、平安に生きることができたのです。
このウナリ神が、琉球王国によって組織化されたのが、ノロです。
ノロは琉球王府から、大きな神扇と辞令書などを貰い受けて、シマの神事を司っていました。
宇検村内にはこれらの神具が、現在も数多く残されています。
扇の表は、国王の権力を象徴した太陽、裏は女性の霊力の化身、蝶を描いて、古琉球時代の
姿を偲ばせてくます。
女性の根源的な神聖さを、ウナリ神とノロ神は「シマ」社会のなかで伝え引き継いできました。
宇検村の旅は、女性の豊穰さの再発見になるかもしれません。
辨才天石像 寄進塔
●辨才天石像、寄進塔(村指定民俗文化財)
宇検集落には島津藩時代からの間切役所の敷地跡地が今も残っている。
また、ここは屋喜内間切の中心地として長い間政治が行われていたところでもある。
厳島神社に安置されている辨才天石像が安置され社殿前に寄進塔が建てられている。
宇検集落では昔から現在も厳島神社のことを「お寺」と呼んでいる。
厳島神社に安置されている辨才天石像は間切役人が上国する時の海上安全等を祈願
するため、碇家初代与人「佐渡知」によつて安置されたものと思われる。
また寄進塔も古いもので、建立年号が元禄15年(1702年)と刻まれている。
このことから少なくても、辨才天石像は今から約284年以前から安置されていたもの
と思われるので貴重な文化財である。
碇家と集落住民によつて、今でも保存されている。海上交通安全の祈願のほか、財宝
、幸福、子孫繁柴をもたらす神として信仰されている。
宇検村商工会 鹿児島県大島郡宇検村湯湾7−1 TEL 0997(67)2661 FAX0997(67)2032